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被爆から63年、長崎で平和の祈り


size=3>被爆から63年の長崎では9日、被爆者や遺族らが平和の祈りをささげた。「体験を風化させず未来へ伝えたい」。思いを口々に話した。

minmax_bound="true"> ステンドグラスから朝日が差し込み、パイプオルガンの荘厳な音色が響く。午前6時、爆心地近くにある浦上天主堂では早朝ミサが営まれ、参加者が賛美歌を口ずさんだ。約500人に、平野勇主任司祭は「戦争や原爆が繰り返されないよう叫ばなければならない。われわれには、風化させず伝えていく責務がある」と呼び掛けた。


minmax_bound="true"> 天主堂近くに住む深堀忍さん(83)は、原爆投下2日後に兵役に就いていた福岡県から長崎県に戻った。ふるさとの姿は変わり果て、自宅には5歳から9歳の妹4人の骨だけが散らばっていた。「あの絶望感は忘れられない。ただ平和を祈っている」。じっと祭壇の方を見詰めた。


minmax_bound="true"> 長崎市の森田時一さん(70)は「『水をくれ』という言葉をたくさん耳にした。あの悲惨な風景を絵に描いて残していきたい」と語り、天主堂を後にした。


 祈念式典会場の平和公園には、この日朝早くから、多くの人が原爆死没者の慰霊に訪れた。


minmax_bound="true"> 長崎市の辻川恵美子さん(77)は、当時疎開していて被爆を逃れたが、市内に残っていた両親を失った。「米原子力潜水艦の放射能漏れのニュースに接しても今の若い人たちは怖さを実感できないのでは。核の怖さを経験した私たちが、声を上げていくべきだ」と厳粛な表情で話した。


参照元:nikkansports.com

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2008年08月11日 11:16に投稿されたエントリーのページです。

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