元ジャパンアクションクラブ(JAC)の俳優で、国際ジャーナリストとしても活動する高木淳也氏(42)が5日、20年ぶりに高さ25メートルからの空中ダイビングに挑む。自身が監督・主演を務めるDVDシネマ「新まるごし刑事(仮)」(原作・北芝健、来春発売予定)の撮影のワンシーン。テレビや映画で主演、大けがを負い一度は引退。獄中生活から町議会議員まで経験した異色の経歴の持ち主は、アクション映画にCGやワイヤがはびこる今こそ「オレの出番」と考えている。
「今、オレがやらないとという気持ちはすごくあります。(真田)広之さんはもう(ダイブを)やらないでしょ? 黒崎(輝)さんも(俳優を)やめちゃった。残ったのはオレ一匹だけですから」。高木氏は、四十路のデンジャラスな挑戦を前に、少しもひるむ様子は見せない。
自身最後のダイブは1988年、主演・初監督を務めた映画「バッド・ヒストリー」。20メートル以上の高さからとなると、映画「伊賀野カバ丸」で36~37メートルを飛んで以来、実に26年ぶりだ。
千葉真一(現JJサニー千葉)が設立したJACでは、エース格の真田、黒崎さんらに高木氏が続いたが「オレの後は人材が育たなかった」。今はスタントなしで主役を張れるアクションスターは、もういないと嘆く。折しも若い世代から「CGやワイヤはもういい」という声が聞こえてきた。「あのころやっていたことが、また新鮮に思われる時代が来た」と直感、ダイブを決意した。
15歳で上京し、JACに入団。それまでは故郷の福岡で札付きの荒くれ者だった。「差別やいじめがものすごい炭鉱の町で毎日けんか。やらないとやられるから、それしかなかった」と振り返る。中学では50~60人の親衛隊を統率。両親を「ここにいたら、誰かを殺すか、殺される」と心配させたが、テレビで見た真田にあこがれ、単身上京した。
東京の人の多さに「何回けんかしないといけないのか」とウンザリしながらも、ひたすらガンを飛ばした。JAC入団時は、正装と信じていたパンチパーマと黒いスーツ。初対面の真田から「どこのチンピラが来たのか」と、ひかれた。
入団翌年、テレビドラマ「カンフーチェン」で主演に抜てきされた。女の子からキャーキャー言われ「街を歩けなかった」ほどだ。当時は「たのきんトリオ」が人気絶頂。黒崎さんとダブル主演の「伊賀野カバ丸」は、近藤真彦主演でリメークされた東宝の「嵐を呼ぶ男」の対抗馬だった。
スピード出世は追い抜かれた先輩たちのねたみを買い、嫌がらせの連続。CM、ラジオ、ポスター撮りと「クソみたいに働いた」うえ、1日10時間以上のアクションシーン撮影。主役は張っても研修生だったため、手元に残る月収は3万。ついには給料未払いで、19歳でJACを退団する。
その後、映画撮影中に右ひざ副側じん帯切断などの大けがを負い、90年に一度は引退。故郷の福岡県に戻り、カイロプラクティック治療院の院長先生の傍ら、政治結社を設立。故郷を守るために「愚連隊撲滅」などを掲げ「戦闘服」と「街戦車」で100人以上の組織を束ね、暴れまくった。
しかし並はずれた正義感ゆえに93年、傷害容疑で逮捕され、2年間の獄中生活を強いられる。この経験で「司法システムの崩壊」を実感し、法律を猛勉強。出所後は国際ジャーナリストに転身。米国でギャングへの密着取材を敢行、ドキュメンタリービデオ「クライシス21」にまとめ上げ、各方面で話題を呼んだ。
99年、33歳で芦屋町議に当選。1期目で副議長まで務めた後、政界から身を引き、2004年には雑誌で連載した小説「龍神」を映画化。監督、主演で芸能界に復活した。
そして5日、千葉県内で飛ぶ。JAC時代、失敗して再起不能になった人を何人も見た。高所から見下ろすエアマットは「タバコの箱くらいの大きさ」。ここに、体が覚えているカンで飛ぶ。「波乱万丈? そうみたいね」と笑う高木氏の人生に、新たな1ページが加わる。
◆高木 淳也(たかき・じゅんや)1965年7月15日、福岡・芦屋町生まれ。42歳。4歳から空手を始め、9歳で極真空手に出合う。中学卒業後、JAC入門。「カンフーチェン」「伊賀野カバ丸」、香港・中国合作映画「忍者&ドラゴン」などに主演。一度引退するが、2004年、監督・主演を務めた映画「龍神」で芸能活動再開。北野武監督の映画「TAKESHI’S」にも出演。青少年に空手を教える「息吹之會」会長。170センチ、68キロ。血液型B。
参照元:スポーツ報知